風雲ブログ記事

  • 前回のブログでジャン・ジャック・ルソーに触れました。

    実は、『告白』を再読しようとして、自宅にある『世界の名著30 ルソー』(1966)を書庫から引っ張り出してきました。ところが、『学問・芸術論』、『人間不平等起源論』、『社会契約論』、『エミール』しか編まれておらず、直接『告白』を読むことが出来ずに、どうしようかと悩んでいました。年末年始の休みに入っていましたので、某通販サイトで発注しようかと検索していると、なんと、私がサブスク契約している「Kindle Unlimited」で読めるではありませんか!?これは有難いと早速、ダウンロード。

    さて、ルソーですが、『社会契約論』や『エミール』などの著者として、教科書にも登場しますので、一般的には思想家や教育哲学者として、ご存じの方も多いと思います。

    昨年の春ごろ、このルソーに関して、衆議院内の国会対策委員会室内(国会対策委員会室は待機時間が長く、多くの先輩議員と話す機会があります)で、某先輩議員と話題になり、

    某議員:「石原君、ルソーなんて自分の子どもを自分で育てずに、施設に放り込むような人物なのに、教育を語るなんて許されないよ!」

    石原:「そうですよね。私も教育学をかじりましたので、それは知っています。でも、町長時代なんかは、事務方が、成人式や小中学校の卒業式なんかで、ルソーを引用しようとするので、戸惑いつつ、自分で挨拶文を考えるようにしてました」

    そのようなこともあり、『告白』は掲載されていないと知りつつ、『世界の名著30』を開いてみました。まず、目に飛び込んできたのは、付録の「ルソーの人間性」と題した安岡章太郎と平岡昇の対談でした。私も知らなかったのですが、音楽家としてのルソーは、童謡「むすんでひらいて」の作曲者だったり、数字を用いた音譜を発明したりしていたとのこと。

    さらに、本編を読み進めると、「かりそめの伴侶としてしか考えていなかったテレーズ・ルヴァヌールとの間の5人の子供を生まれると次々に養育院に送った」(p.38)との記載がありました。養育院に送った子どもの人数もさることながら、「かりそめの伴侶」とはどういうことなのかと、さすがの私も唸りました(笑)

    先の某議員との会話に関して、『エミール』からの以下の引用(p.38)があり、

    「父親の義務を果たすことができない者は、父親となる権利はない。貧困も仕事も世間への思惑も、自分の子供たちを自分の手で養い育てる義務から免れる理由にはならない。・・・だれでも子供をもちながらこれほど神聖な義務を怠る者に予告しておく。その人はいつまでも自分の過失について後悔の涙を流し、しかもけっして慰められはしないだろう」

    辛うじて、二人の子どもを成人させたものの、この一節は、私自身も自省しながら読まざるを得ませんでした。

    最後に、ルソーの時代、例えば、1745年〜1772年までのパリの新生児の約30〜60%が養育院に送られていたデータが付記されており、現在から過去を、あるいは、自己の置かれた環境から他者の置かれた環境を、単純に批判するのではなく、その時代や環境に思いを致すことの重要性が示唆されていました。